いぬのさんぽ

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昨日の夕刊の、作曲家の池辺晋一郎さんのコラムが面白かった。
池辺さんの感覚では、作曲という営為は犬の散歩にそっくりだとのこと。
作曲していると、音がアッチへ行きたいと言う。そこで池辺さんはアッチに動かす。
だが時にはアッチではなくコッチに動かしたいこともある。そんな場合、音をコッチに引っぱるか、あるいは音の考えが変るまで待つか・・・。
『音』を『犬』に置き換えると池辺さんの説明がよく分かる。

そして、希有なほどこの感覚が鋭敏だったのがモーツアルトなのではないか、と、池辺さんはいう。
音と会話を交わすことができた人。それもまるで人間同士のようにあまりに自然な会話なので、そうしてできた音楽を聴く者すべてが、心地よく身を任せることができるのではないかと・・・。

『音の考えが変るまで待つ』・・・・この一行は、気持ちいいショックを私にあたえた。
えっ、そうなんだ、音には意志があるんだー。
音は放っておけば本質的には下降するものらしい(水に似ているそうだ)。それを、自在に動かして音楽を紡ぎ出すのが作曲家・・・。そしてさらに音とこの上なく自然に会話できたのがモーツアルト・・・。
私の中で、音楽はさらに不思議で豊かなものに思えてきた。

言葉は音とちょっと性格が違うかも知れない。もう少し、使い手の自由になるもののような気がする。あるいは、自由にならないものなのかも。
だけど、使っていると思わせない自然さで、ぽこんとどこからか生まれました!みたいなあっけらかんさで、詩を一つそこに置けたらなあ。
そう、「その場の空気」みたいな感じが一つの理想かなあ。それも気持ちいい空気がいいな。

このブログを読んで下さる方の中にも、音楽を創る方がいると思いますが、犬の散歩、の感覚、みなさんにもわかるのでしょうか。。。
いいなあー。

(池辺晋一郎氏の文章は、読売新聞1/17付夕刊『耳の渚』より参照させていただきました)
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Commented by Take at 2006-01-18 16:04 x
あはは(^^ゞ
池辺大先生とは違いますが、言っている感覚は何となく分かりますねぇ。

ただ世俗的な言い方に変えてしまうと「音の考えが変わるまで待つ≒自分が納得する・新たに見えてくる音が出るまで待つ」と言う事に近いのかなとも思います。

私にもなかなか言う事を聞いてくれなくてこっちに引っ張れず
滞っている作品ちゃんが結構居ます(^^;)あは・・・
〆切が無いとナカナカ進まなかったりもシマスしね(^▽^)

自我の中での出来事を例えると犬の散歩に見えたのでしょうね。
素晴らしい♪
Commented by Rika at 2006-01-18 22:11 x
Takeさん、ありがとうございます。
なるほど。そういう説明だと、詩やお話を書く時も似ているかも。
たったひとつの言葉がみつからなくて、しばらくほうっておくことありますし。

頭で考えたものじゃなく、天から自分を通って下りてくる、「そこに表れるべき真理」みたいなものを求めるのが芸術家なのかな・・・。

そう言えば、小学校の時、音楽の授業で、一人ひとり短い曲を作ったことがありました。
あれは楽しかった。何もないところから何か創るって、基本的に楽しいもんですよね。
大人になってもそのメロディ覚えていたんだけど、あれ、、、今思い出せなくなってる(-_-メ)。
Commented by Take at 2006-01-20 18:09 x
おかげで音楽じゃない方も
作り出す仕事してますしね(笑)
(^^;)
by rikakokoro | 2006-01-18 12:58 | Comments(3)

長井理佳。童話作家で作詞家。仕事歴は以下のプロフィールのページにあります。


by RIkaNagai
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